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ごろ太三昧

(雑種猫ごろ太の乳母日傘な日々)

2009年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年11月

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ホトトギス感傷

 ヒトと暮らして齢を重ねると、何やら猫も処世に長けてくるらしい。
ニンゲンがすることを真似てみたり、或いはわざわざヒトを呼び付けて用事をやらせるようになり、蛇口から流れる水を飲んだり寒ければストーブ暑ければ扇風機の真ん前を陣取り、いつの間にやらこちらの文化に溶け込んで家族の顔して猫は生きている。

 お江戸の頃には「自分で戸を開けるようになったら化け猫」などと謂われていたそうであるが、先代猫のペンスケは若い頃から開けたい扉は自分の前足で開けていた。
引き戸限定ではあったがなにしろ実家は引き戸の多い家だから、廊下と居間とを隔てる戸やら風呂場の戸やら勝手に開けては行き来して、押入れの襖を開けては黴臭い茶箱の上で昼寝をし、ひいては窓という窓を開けて脱走まで図ったものであった。

彼の仕業と判るのはどの戸もどの戸も猫一匹が通れる分だけ開いたままだから。
つまり閉める方を気に病まなくて良しとするのであれば、彼は当時からかなりな化け猫に達していたというワケである。

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この調子ならいずれ、ついと二本の足で立ち上がり手拭い被って「猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが・・・」と謡い踊るに違いないと密かに楽しみにしていたものである。

 ところがある日どこかから彼の鳴き声がする。向こう三軒両隣どころか50メートル先の曲がり角を曲がっても聞こえそうな大音量。その上どうも家の外で鳴いているようだと声の出所を探していると、縁側の雨戸の戸袋の上で大きな身体をぎゅうっとすくめて、あらん限りの大声出してペンスケ爺が鳴いている。
どうやら二階の窓からベランダに出て脱走を企てたつもりであったのが、歳を取ったか戸袋から庭に飛び降りられず行くも戻るもできなくなったらしいのだ。脚立を上って迎えに行くと普段は決して抱かれぬ猫が憮然とした顔で腕に抱かれて救出劇は終わったが、その日を境に彼は脱走を諦めてしまったようであったことが誠に不憫に感じられた。

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 それから何年かが過ぎ、十七歳になった彼は悪化した腎不全が余程しんどかったのか、化けることも忘れ呆気なく、この世の果ての大川を渡り彼の岸へと逝ってしまった。
最期にひとめ会いたいと急いで駆けて行ったのに、たった200メートル足らずの距離を彼は待っていてはくれなかった。なんと薄情な猫であろうか。

僅か何十秒に間に合わず骸となった身体に触れるとついさっきまで息が通っていた温もりだけが残されていて、もしやむっくり起き上がるのではなかろうかと何度も何度も撫でてはみたが、微かな期待と裏腹に触れるたび冷たくなってゆくばかりだった。
もはや彼ではないのだと知りながら、母とふたりで魂の抜けた猫の身体をきれいに拭いてタオルを敷いた箱に入れた。

091017-4.jpgある程の 菊抛げ入れよ 棺の中

漱石の詠んだ句がふいに胸に浮かんで雨のそぼ降る庭に出た。何か手向けの花はないかと見回したのだが、目に付くものは湿った枯草ばかりである。立枯草をかきわけてやっとみつけた花といったら暗い色してうらぶれたようなホトトギスだけであった。

赤紫の斑の入った奇妙な形の秋の花。その斑が、夏の初めに訪れて黄昏どきにキョキョキョと頓狂な声を立てる杜鵑の腹の模様に似ているとつけられた、杜鵑草という名前。
あるだけ手折って箱に入れてもなんとも侘しい手向け花。猫にはもう見えぬのだからと思う自分の気持ちまでさもしく寒かった。

 冷え込んで肩をすくめるように歩いた帰りの夜道は雨上がり。長雨が上がったことすら恨めしく、猫又になるという約束はどうしたのだ、謡も踊りも披露せぬままいなくなるとはあんまり非道いじゃないかと、まだ濡れて黒々としたアスファルトを睨みつけながら角を曲がると明るいものが目に飛び込んで来た。
雨雲切れて晴れ渡った空から、困惑したような笑顔で十六夜の満月がこちらをみつめている。澄んだ空気を渡って来るその光は真っ直ぐで息を飲むほど美しかった。
ペンスケがその生涯を閉じたのは枯草ばかりで花もない侘しい季節ではなかったのだ。夏の間に青々と茂り花も実もつけ今年の務めを終えた命が、また来る春への希望に満ち満ちて静かに眠りにつく季節なのだ。空を仰げば黄金の月も満足そうに満ちている。
もっとよく見ようと瞼を擦ると滲んで歪んでいたその形が光り輝く見事な丸い盆になり、腫れて熱を持った瞼にひんやり静かに沁み込んだ。

晩秋の和らかく冷たき月の光は窓辺に置かれた猫の骸の上にも注いでいたのであろう。病で思うように動かなくなった重たい身体を抜け出して、金色の光に導かれ魂だけの身軽な姿で、私の未だ見ぬ彼の岸へと小躍りしながら猫は渡っていったのだ。そこはどんなところであろうか。好物だった鮪の赤身をお腹一杯食べられるであろうか。

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 ところでずいぶん経ってからホトトギスという鳥の名の別の当て字を知った時、期せずしてこみ上げて来る嗚咽を抑えるのに往生した。

当てられたその文字は『不如帰』。‘帰るに如かず’という意味を持っている。



*2005年の今日は先代猫の命日でした。




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