【蛇足的余談】 ちっともヒミツじゃないごろ太のヒミツキチ(だってフツーの駐車場だもん)と、銀次郎兄弟が暮らす(?)アパートとは隣同士だが、急坂に面しているのでかなりの高低差がある。 去年2月のある日、駐車場側の擁壁に大きな脚立が立て掛けられていた。詮索好きではごろ太に引けを取らぬ銀次郎は早速その天辺で日向ぼっこを楽しんでいたらしい。
そこへやって来たごろ太がフェンス越しに遊ぼうと駄々を捏ねたら銀次郎は脚立を下り、ぐるりと廻って駐車場まで来てくれた。しかも、写真はないが脚立を下りたところで実は彼はごろんごろんと転げてくれていたのである。 (フェンス際でごろ太が駄々を捏ねている4枚目の写真の上中央に小さく銀次郎が写っているが、その場所でしばらく豪快に転げていたのだ。駄々を捏ねるのに忙しかったごろ太は気づいていなかったが ^^;) 彼のホームテリトリーの目と鼻の先に毎日やって来て、石投げやら猫相撲やらと騒々しい紐付き猫とオバサンとを、それなりに歓迎してくれているのかも・・・とこの時感じた次第。
で、そのごろんごろんだが、やはり銀次郎のそれは友愛を示しているらしく、毎回顔を合わせるとまず転げて見せてくれるのである。 間髪入れず一緒に転げて同調すればいいのにと思うのだが、転げてくれる兄貴が嬉しいクセして、ごろ太はなかなかタイミングを合わせられずにいた。 せっかく傍まで来て転がりっこに誘ってくれても、面食らった様子で眺めるばかりのごろ太。 やっとその気になって自分も転げて見せると、今度は銀次郎が乗って来てくれず、ふたりの気分がそれなりに同調するまでには半月ほどかかっただろうか。 今回の転がりっこはその過程。まだいまひとつタイミングが噛み合わなかった頃のお話だが、傍観者としてはそれはそれで面白かった。
我々はニンゲン語という便利かつ不便極まりない言語を持つが、猫たちのコトバというのはより原始的で、初見の相手でもニャーと鳴けば意味が通じるというものでもないらしい。 敵意、或いは繁殖のための猫語(身振りと鳴き声)というのは初見でもお互い伝わるようだが、それ以外の気持ちや微妙なニュアンスなどは一緒に暮らしたり何度も顔を合わせたりするうちに伝わるようになるのだなぁと、彼らを観察していて感じた。
語彙の少ない猫の『ニャー』はその時々で色々な意味に変化する。 そして『ニャー』と文字にしてしまうと何の抑揚もないが、
● 声の大きさやアクセントの位置 ● 発声している際の体勢 ● 耳や尻尾の様子 ● 瞳孔の開き加減
などで、彼らはその時々の感情を表現しているのである。
こういう言語の理解は母親が赤子の気持ちを感じ取ることに似ている。理解したいという気持ちでつぶさに観察し、より長い時間猫と接して親しくならないとなかなか解からない。 が、解かり始めると色々類推することもできるし、あまり馴染みのない猫の感情も知っている猫と比べることで大まかに解かったりする場合もあって非常に面白い。 そして、猫の気持ちがある程度わかってくると、互いの気分が同調するようになるのだ! (これを感応的同調と言います) 猫のほうもこちらの気持ちをなんとなく察したり、同じことをしたり(アクビやトイレなど)、個体差はあるがある程度の協調性を見せるようになる。 長く一緒に暮らすほどに猫が懐くのも、齢を重ねるほどに猫が甘えん坊になるのも、おそらくそういうことが関係しているのだろう。一緒に居れば居るほど猫は可愛くなるのだー!
しかし猫語の理解云々なぞ、思い上がりも甚だしい僭越な言い方なのかもしれない。 異種の動物の言わんとしていることや気持ちを理解しようとしているのは我々だけではないのだ。猫だって我々の考えを理解しようと、観察したり考えたりしているのである。 猫に限らず、ニンゲンと暮らすことになった動物たちはみんな、自分より身体が大きくて無神経な我々と何とかうまくやっていこうとノーミソをフル回転させているのかもしれない。 そして彼らは実際、我々の言いたいことをそれなりに理解してくれるではないか。 動物の感情の理解というのは、一方通行ではなく相互理解なのだ。 ニンゲン的言語に頼らない彼らは、より純粋な部分で理解してくれているのかもしれない。
相互理解が深まると、彼らにとって我々はただ餌をくれるだけではない特別な存在になり、お互い掛け替えのない親密な関係になれるのだ。 勿論、他ならぬ己が生きていく上で必要だからこそ、生存本能としてニンゲンの言うことを理解しようというのが最初の動機なのだろうけれど、もしも逆の立場に置かれたら我々は彼らのように努力できるのだろうか? ニャーじゃワカランなどと言わずに今後も精進致したいと強く思う乳母なのである。
ところで、ごろ太はワタシにニャーと言うが銀次郎には言わない。銀次郎もワタシに向かってニャーと言うがごろ太には言わない。平和であれば彼らはお互い無言である。 猫はお互いを観察することのみで理解を深めてゆくのか、無言のうちにテレパシーで何かを伝えることができるのか、実は感情にはそれぞれニオイでもあるのか、それは解からないのだが、コミュニケーションを取るために何を使うのか、相手によって手段を使い分けているということもとても興味深い。 ニンゲンは、いちいち声に出してやらなきゃ解からないニブイ生き物だと思われてるかもね。 猫語については何かと面白いので、またいずれ別のお話もしたいと目論んでいる次第。
以上、大型連休最終日の巻物でした(笑)。 |